大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋地方裁判所 昭和50年(ワ)1077号 判決

原告

間瀬啓一

外一名

右原告ら訴訟代理人

梅沢和夫

外八名

被告

愛知県

右代表者知事

仲谷義明

右訴訟代理人

片山欽司

外八名

被告

名古屋市

右代表者市長

本山政雄

右訴訟代理人

鈴木匡

外三名

主文

一  被告らは各自、原告間瀬啓一に対し金三三一万三九五二円、原告間瀬京子に対し金三一六万三九五二円、及び右各金員に対する昭和四八年三月二九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを三分し、その二を原告らの負担とし、その余を被告らの負担とする。

四  この判決の第一項は仮に執行することができる。ただし、被告らがそれぞれ、原告らに対し各金一〇〇万円の担保を供するときは、その原告の仮執行を免れることができる。

事実《省略》

理由

一(事故の発生)

原告らの二女敬子(昭和四五年八月二八日生、当時二歳七か月)は、両親と共に、名古屋市中川区富田町大字西通海六〇番地にある被告市管理の市営住宅戸田荘三七棟三〇一号室に居住していたこと、昭和四八年三月二九日敬子が戸田荘に隣接する同町大字戸田字宮田三〇番地先の本件堤防から福田川に転落して溺死したことは当事者間に争いがない。

そして〈証拠〉によれば、敬子は本件市道上で遊んでいたところ、同日午後一時三〇分ころから午後二時三〇分ころまでの間に転落したものと推認することができる。

二被告らの責任について判断する。

1  戸田荘が公営住宅法に基づいて建設され、被告市の管理にかかる市営住宅であることは当事者間に争いがないが、市営住宅は直接公の目的に供されるものではないので、国家賠償法二条一項にいう「公の営造物」に該当しないものと解するのが相当であるから、原告ら主張の戸田荘の管理の瑕疵に起因する同項に基づく主張は、その余の判断をまつまでもなく失当というべきである。

2  被告市が本件市道を管理していたこと、愛知県知事が二級河川である福田川を管理していたことは当事者間に争いがなく、かつ被告県が福田川の管理費用負担者であつたことは同被告と原告らとの間で争いがない。

3  そこで、右各管理に瑕疵があつたか否かについて、以下順次検討する。

(一)  (福田川、本件市道、本件堤防の状況について)

(1) 福田川は愛知県稲沢市方面から戸田荘敷地の西側直近を南方に向け流れて、その下流で日光川に合流していたこと、河川管理施設として設けられた本件堤防が上部の土盛部分と下部のコンクリート部分とからなり、天端が本件市道として利用されていたこと、その市道の路線と認定されたのは、昭和二六年八月であつたこと、右市道を事故現場から南へ行くと同県海部郡蟹江町、七宝町方面へ通じる柳瀬橋に至り、さらに南方で国鉄関西本線と交差していたことは当事者に争いがない。

(2) 〈証拠〉によると、本件事故当時、本件市道の幅員は1.8メートルであつたこと、別紙図面(一)記載のとおり、福田川の水路幅は約二〇メートル、事故現場付近の水深は約0.86メートルであり、ヘドロが0.2メートル堆積していたこと、堤防天端からコンクリート部分上端までの高さが約一メートルであり、その中間の土羽部分が斜面となり、その斜辺の長さが2.11メートル、その水平距離が1.86メートルであつたこと、土羽部分に続くコンクリート部分には0.15メートルの垂直部分があつたこと、そこから斜面(張りブロック部)が続き、その斜辺の長さ1.80メートル、高さ1.19メートル、水平距離が1.29メートルであつたこと、この斜面に続いて幅1.50メートルの表小段があり、表小段の下部の笠置コンクリートは表小段の先端より奥に引つ込んでから下がり、表小段の先端部分が川に突き出した構造となつていたことを認めることができる(ただし原告と被告県との間では水路幅、水深、ヘドロの堆積状態を除くその余の事実は争いがない。なお以上の状況を前提とすると土羽部分の勾配が約二八度あり、張りブロック部の勾配が約四一度であつたことは計算上明らかである。)。

(二)  (福田川、本件市道「本件堤防」の周辺の状況――特に戸田荘の状況――)

戸田荘とその付近の状況は別紙図面(二)記載のとおりであり、戸田荘は昭和四五年三月と昭和四六年三月の二期にわたつて完成された五階建共同住宅四〇棟であり、ここには約一六〇〇世帯、五一〇〇名余りが居住し、被告市の設置管理にかかる住宅団地を形成し、南北約五〇〇メートル、東西約二五〇メートルの長方形をした敷地の西側は、本件堤防と約五〇〇メートルにわたつて接していたこと、その境界線に沿つて高さ約0.95メートルのフェンスが設置されていたこと、このフェンス中央部の柳瀬橋付近と西南角部分に本件市道への開口部が設けられていたこと、団地北側境界線上には西側フェンスの北西角から東に向つて約一〇メートルの長さのフェンスが設けられていたこと、南側は境界線の全体にわたつてフェンスが設けられていたことは原告らと被告市との間では争いがなく、被告県は明らかに争わないから自白したものとみなす。

(三)  (本件市道の利用状況等について)

以上の事実と〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

(1) 本件事故現場付近は、もと名古屋市西端に位置する郊外の田園地帯であつたが、昭和四三年秋ころから被告市が宅地造成を開始し、事故現場付近の本件堤防に接して戸田荘を建設し、昭和四五年三月からこの団地への入居が始まり、翌四六年七月ころの入居者数は約五一〇〇名に達した。人口の増加に伴い、堤防上の本件市道が蟹江町方面に行く者らに利用され、さらに団地住民の散歩等にもよく利用されるようになつた。

(2) 戸田荘は周囲を福田川、鉄道等の施設に囲まれていたため、被告市としては戸田荘の周囲に危険防止策としてフェンスを設置したが、外部の者が戸田荘内に設けられる予定であつたバスターミナルを利用し易くするため、西側フェンスにはその中央部に開口部が設けられた。また、その西南角の部分にも関西本線の利用者らの利便のために開口部が設けられた。そして被告市は後者の開口部に扉を設け、住民がその扉の管理をしていたが、時の経過とともにそれがずさんになつた。さらに、開口部が設けられていなかつた団地北側においては北側フェンスの切れ目の部分から本件堤防にかけて踏み固められた事実上の通路が作られ、住民はここからも市道に出るようになつた。

(3) 団地住民のうち〇歳から五歳までの乳幼児は一二〇〇名おり、団地内にはこれら乳幼児のためのブランコや砂場を備えた児童公園が設けられていたが、本件市道上も児童の格好の遊び場となり、特に春先から夏にかけては、つくし採り、昆虫採集等に利用されていた。そのため本件事故以前に児童の転落事故三件が発生したのを始め、本件事故から約一年後には戸田荘住民である五歳の幼児が本件事故現場から約五〇〇メートル下流に転落して死亡し、その後も本件事故現場の下流で転落死亡事故が発生した。

(4) 本件事故も姉の美保子らと共に遊びに出た敬子が、原告ら居住棟の東南にある児童公園の砂場で遊んだ後、本件堤防へ出てつくし採りをしていた際に発生した。

(5) 本件事故発生当時、本件市道から福田川にかけて転落防止のための防護柵等が設置されていなかつたが、前記のように団地内に居住する幼児が連続して二名福田川に転落して死亡したことを重視した被告市は、昭和四九年七月ころ、本件堤防の土羽部分の天端寄りに総延長六〇〇メートルのフェンスを設置し、その後団地住民の事故は発生しなかつた。

以上の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

(四)  (本件市道から福田川への転落の危険性について)

以上の事実によれば、福田川は昭和四三年ころまでは田園地帯を流れる河川としてさしたる危険を有していなかつたこと、昭和四六年三月に戸田荘が完成し、五〇〇〇名を越える住民が入居し、〇歳から五歳までの乳幼児の人口が一二〇〇名近くに増加したこと、その後堤防上の本件市道は通勤や散歩等に利用されるようになつたばかりでなく、団地内に児童公園が設置されていたとはいうものの、つくし採り、昆虫採集等の格好の遊び場として利用されるようになつたこと、本件堤防の水路側(表法)は約二八度の斜面の土羽部分と約四一度の斜面のコンクリート部分(張りブロック部)とからなり、本件市道ないし土羽部分から足を踏み外した場合、幼児が自力で踏み止まることは困難であつたこと、さらに表小段の先端部分は水路面上に突出した状態となり、川底には約0.2メートルの深さのヘドロが堆積していたなどのため、幼児が一度川に転落した場合、自力ではい上がることも困難であり、かつ、かような幼児を発見することも容易ではなかつたものと推認でき、しかも近隣で福田川への転落事故が他に二件発生していたことなどを考え合わせると、戸田荘が完成して、付近住民の人口が増大した昭和四六年三月以降、本件市道の水路側(表法肩又は土羽部分)に防護柵などの設備を施し、幼児が本件市道から福田川へ転落しないようにすべき状況に立ち至つたものということができる。しかしながら、前記のとおり本件事故現場付近には、本件事故発生当時、かかる設備がなされていなかつたのである。

(五)  (転落防止設備の設置義務者について)

(1) (被告県の設置義務について)

(イ) 以上認定のように、愛知県知事は、福田川の水路部分のみならず、本件市道の敷地にあたる本件堤防をも河川管理施設として管理しているものであり、〈証拠〉によれば、同県知事は本件堤防の天端部分を、本件市道の敷地とする目的で占用許可を与えたことが認められるが、その市道の路面部分は別としても、その路肩(表法肩)部分より下方については、現実に同知事の管理権が及ぶものといえるので、同知事は、被告市に対し占用許可の条件として転落防止設備の設置を指示してこれを履行させるか、又は自ら設置すべき義務があつたものというべく、本件については、この義務を怠つて放置したのであるから、福田川の管理に瑕疵があつたものといわざるをえない。

(ロ) なお被告県は、堤防にフェンスを設置することは治水、水防上の支障を生じ、河川管理施設としての堤防の機能を阻害すると主張しているが、〈証拠〉によれば、河川堤防に異物が混入することは、河川管理上好ましくない影響があることは否定しえないが、河川管理者あるいは堤防上を利用している道路管理者が堤防上にフェンスやガードレールを設置する例があつたこと、本件事故現場付近の左岸堤防にも本件事故後市道管理者としての被告市の申請に基づきフェンスの設置が許可され、昭和四九年六月にこれが設置された後、河川管理上特段の不都合を生じていないことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はないから、被告県の主張は理由がない。

(2) (被告市の設置義務について)

(イ) 被告市は本件市道の管理者としての責任に関する原告らの主張を時機に後れた攻撃方法として、その却下を求めているが、それは攻撃方法でなく、訴の追加的変更にあたる場合であるのみならず、本件堤防の天端に道路が存在したことについては本訴の提起当時から原告らの主張するところであり、昭和五一年三月五日に実施された検証(第一回)に際しても本件市道の存在と形状について検証が行われ、本件市道が被告市の管理にかかるものであることは本件と併行して進行してきた当庁昭和四九年(ワ)第八九四号損害賠償請求事件の第八回口頭弁論(昭和五二年一月二一日)における証人柳瀬茂の証人尋問の際に明らかにされたもので、以後河川管理者と道路管理者とが競合する場合の責任の所在が一つの争点とされてきたこと、原告らは第一九回口頭弁論期日(昭和五四年一一月三〇日)において、被告市の道路管理者としての責任を追求する旨の主張を明確にし、第二〇回口頭弁論期日(昭和五五年一月二五日)において弁論を終結したものであることは明らかである。右事情のもとにおいては、新たに証拠調べをする必要がなく、右主張の追加によつて訴訟の完結を遅延させるものとは認められないから、右申立は失当といわざるをえない。

(ロ) 被告市は前記認定のとおり、戸田荘に居住する幼児らが昭和四六年三月ころ以降本件市道をひんぱんに利用するようになり、本件市道から福田川へ転落する危険性が生じたのであるから、本件市道上の安全を確保するため、愛知県知事と同様に、その転落防止設備を設置する義務があつたものというべく、したがつて、本件市道の管理上の瑕疵もあつたというべきである。

4  すると、被告県は国家賠償法三条一項により、被告市は同法二条一項により、それぞれ、原告らに対し損害賠償義務を連帯して負うものといわなければならない。

三損害

1  (逸失利益)

敬子が死亡当時二歳であつたことは当事者間に争いがないので、同人は一八歳から六三歳まで就労して収入を得ることができるものと推認できる。そして昭和四八年度賃金センサスによると、産業計、企業規模計の一八歳ないし一九歳の女子労働者の年間総収入は六七万九二〇〇円(毎月決まつて支給する現金給与額五万〇二〇〇円、年間賞与その他の特別給与額七万六八〇〇円)となり、右収入を得るために生活費として五割を控除した三三万九六〇〇円が同人の年間純益であると認めるのが相当である。これを基礎として、ホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除して、同人の死亡時における総収入の一時支払額を算出すると、五四五万五八〇九円となり、これが同人の逸失利益といえる。

2  (過失相殺)

本件事故の発生につき原告らにも過失があつたか否かについて考察するに、〈証拠〉によれば、戸田荘には七つのブロックのそれぞれに児童公園が設けられ、その団地中央には都市公園が設置されていたことが認められるから、原告らは、できる限り、敬子をして右公園など安全な場所で遊ばせるよう務め、その他の場所で遊ばせるときには原告ら自ら敬子に付添いあるいは監護能力をそなえた者に監督を依頼したり、戸田荘の周囲の環境にも注意を払い、福田川へ行くことを禁ずるなど監護すべき注意義務があつたものというべきところ、〈証拠〉によれば、原告京子は、敬子とその姉美保子(当時四歳五か月)が昭和四八年四月から戸田荘内に設けられている保育園に入園する予定であつたため、集団生活に慣れさせる等の目的で二人で公園に遊びに行くことを認め、自らは自室から時折公園を注意し、子の行動を確認していたのみで、特に福田川へ行くことを禁ずるなど遊び場を制限する等の注意をしなかつたことが認められ、右認定を動かすに足りる証拠はない。したがつて、原告らにも親として幼児を監護すべき社会生活上要請される義務を怠つた過失があつたということができるので、右損害額から五割を控除した二七二万七九〇四円が被告らが賠償すべき損害額であるというべきである。

3  (相続)

原告らが敬子の両親であることは前記のとおりであり、弁論の全趣旨によれば、原告らが二分の一の相続分をもつて、同人の遺産を相続したものと認められるので、同人の死亡により、原告らは右二七二万七九〇四円の損害賠償債権の二分の一にあたる一三六万三九五二円ずつを相続により取得したことが明らかである。

4  (葬儀費)

〈証拠〉によれば、同人が葬儀を行ない、その費用として三〇万円を支出したものと認められるが、前記の過失を斟酌すると、被告らの賠償すべき損害額は一五万円と認めるのが相当である。

5  (慰藉料)

次に敬子を失つた原告らの精神的苦痛に対する慰藉料としては、前記認定の諸事情を考慮すると、各人についてそれぞれ一五〇万円とするのが相当である。

6  (弁護士費用)

以上の認定によると、被告らの損害賠償の金額は、原告啓一につき三〇一万三九五二円、原告京子につき二八六万三九五二円となるところ、原告らが本訴の提起と訴訟の遂行を原告ら訴訟代理人らに委任したことは当裁判所に顕著であり、事案の性質、請求認容額、訴訟の経過等諸般の事情を考慮すると、本件事故と相当因果関係がある弁護士報酬相当の損害金の額は、本件事故発生日の現価に引直して、原告ら各人につきそれぞれ三〇万円と認めるのを相当とする。

四そうすると、被告らは各自損害賠償金として原告啓一に対し三三一万三九五二円、原告京子に対し三一六万三九五二円及び右各金員に対する本件事故発生の日である昭和四八年三月二九日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があるものといわなければならない。

よつて、原告らの本訴請求は右認定の限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求を失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条一項本文を、仮執行の宣言、仮執行免脱の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(鹿山春男 林輝 古田浩)

図面(一)、(二)、別表一、二〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例